日本の障がい者就労支援B型の平均賃金は月給で約1万6000円ほど。時給ベースでは、100~300円の世界です。
私がこの問題に直面したのは、前職の会社に勤めていた時。この会社は、カナダ専門の留学会社であり、一般留学生のサポートの他に、不登校や引きこもりの回復プロジェクトや、視覚障がい者の留学支援を行っている、とてもユニークな会社です。私は、不登校・引きこもり支援のプロジェクトマネージャーとして任命されました。
不登校や引きこもりといった背景には様々な原因がありますが、中でも、発達障がいや学習障がい、ADHD、識字障がい、アスペルガーなど、人には理解されづらい障がいがあることで、学校や社会の中で過ごしづらくなり、不登校や引きこもりとなってしまう…こういった現状を実感することが多々ありました。
前職の会社の回復プロジェクトは、かなり凄まじく(良い意味で)、回復率は95%を超えました。カナダに行くと元気になれる。そういった評判が評判を呼び、いつしか、国をまたいだ一大プロジェクトになっていました。
しかし、不登校・引きこもりから元気になることは嬉しいことなのですが、元気になった当事者が日本に戻り、就労先を探す段階になると、日本の慣習が邪魔をします。
「履歴書のこの空白期間、何をしていたの?」
「カナダでは、何をしていたの?」
面接で、履歴書の空白期間やその過ごし方を指摘され、面接通過が厳しいという問題が出てきました。面接通過して、働けるとなっても、「他の人と何かコミュニケーションの取り方がおかしい」と職場の人の理解が得られず長く仕事が続かない…
他の就職先は無いかと、障がい者の就労支援事業所や一般企業の障がい者雇用枠で仕事を探しても、
「賃金が安すぎて生活できない…」
「求人が狭き門で採用されない…」
という問題が。せっかく元気になっても、また引きこもってしまう…
「障がいがあっても無くても、その人を受け入れて理解のある会社が必要だ。」そう強く実感しました。
ちょうどその頃、友人から「福祉を変える経営~障害者の月給1万円からの脱出」という本を手渡されました。クロネコヤマトの前会長、小倉昌夫氏が書いた本でした。
当時の就労支援事業所の賃金は、月給1万円。「この現状を脱却するには、就労支援事業所の経営者が経営の概念を持って事業に打ち込めば、障がい者の賃金引上げができる」というのが、この本の主旨ですが、実際に小倉氏は、ヤマト福祉財団を立ち上げ、月給10万円という賃金を保証できる事業所の立ち上げに成功しています。
この本に感銘を受け、「できる人がいるなら、必ず達成できる」と考え、今に至ります。
もし、全国的に最も最低賃金が低い沖縄で、障がい者の最低賃金が保証できる事業所を確立することができれば、全国的にもこの問題を、考え直すきっかけになる動きが出てくるかもしれない。こういう想いがあり、私たちは、障がい者の最低賃金を保証できるような、就労支援事業所の運営に取り組みます。
また、親の亡き後でも、しっかり当事者が自立できる生活を送れるように、グループホームを併設し、生活保護を受けなくても、安心して、働き、遊び、暮らせるような、そんな仕組みを作っていきます。